山嶺

メニュー

さあ、登るばい!!

祖 母 傾 縦 走

と  き  2006年3月18日〜20日
メンバー  池田克 石橋 江上ひ 北方
報告 田中健二
タイム 
18日 久留米17:00→上畑やまびこ塾20:30
19日 5時起床 健男社前駐車場6:15〜前障子岩9:35 9:45〜大障子岩11:25
11:45〜八丁越12:10〜宮の原14:05〜九合目小屋15:15(小屋泊り)
20日 5時起床6時出発〜祖母山山頂6:25 6:35〜障子岳8:30〜古祖母山9:50〜
尾平越11:10 11:20〜本谷山13:35〜水場13:45 14:00〜本笠松山〜
笠松山15:00〜九折越小屋16:20(小屋泊)
21日 5時30分起床 6:45出発〜傾山8:15 8:35〜三ッ坊主分岐11:00
11:15〜三ツ尾11:35〜九折駐車場13:35→健男社前駐車場→阿蘇簡保の宿温泉→久留米

18日 雨
 上畑やまびこ塾泊。 事前に予約しておくと到着時間に管理人が待っておられる。
(安藤 剛 氏 TEL0974-47-2047 素泊まり一人1200円)。夜は冷え込んだのでストーブを一晩中つけて寝た。

19日 曇りのち晴 出発時8℃ 
各人のザックの重さは12〜13kg。
前障子岩まで高度差約1000mあり、ゆっくりゆっくり登る。
ほぼ予定通りに前障子岩に着く。
大障子岩の頂上は神原から登ってきた約20人の登山客で一杯。
そのうちの一人の女性が「大分100山」を登ったということでワインで乾杯していた。
池の原付近から祖母山頂まで、稜線上は見事な霧氷のトンネル。祖母山の北面は真っ白な桜の花が一面に咲いているような見事な景色。
今夜の九合目小屋は4パーティで多彩。名古屋の青年2人組、オーストラリアタスマニア出身の25歳のマッツ君、千葉から来た中年の男性一人(相棒は尾平鉱山の廃鉱の中に入って水晶を採掘しているとのこと)。小屋の管理人の加藤さんも含めて、こたつを囲んでみんなで8時過ぎまで歓談す。寝る前の外気温はマイナス5℃、明日は晴天の予報。

20日 晴 出発時マイナス7℃
かなり冷え込んでおり祖母山頂でアイゼンを着用す。
山頂からの下りは凍結していたため慎重に下った。
天狗を過ぎて障子岳で立ち休憩。古祖母山から尾平越えまで高度差約400mを下る。
ここらあたりから少しづつ足取りが重くなってくる。尾平越えで10分休憩。
ここから本谷山までアップダウンを繰り返しながらの登りはきつかった。本谷山を過ぎて10分経った頃に左に水場あり、水を補給す。水量はあまり多くないので夏場は枯れる可能性あり。
ここから笠松山まで高度差はあまりないが何回もアップダウンがありみんなの歩行速度が遅くなってくる。トクビを過ぎてやっと着いたと思った所はなんと「本笠松山」との表示あり。気を取り直して笠松山に向かいやっとのことで笠松山の頂上に着く。 しばらく休憩して頂上から地形図を見て北の稜線を下るがどうも主稜線からはずれて行くようなので、元気が残っている江上ひろ子さんに偵察に行ってもらうがどうも違うようだ。
石橋さんの「わからなくなったら、わかる所まで戻ろう」の一声で頂上に登り返し戻ると、頂上の南側を巻くようにして縦走路があった。
疲れに疲れて予定より約1時間遅れで九折越小屋に着く。
先行していたマッツ君と名古屋のパーティーも笠松山の所で同じように間違っていたことが小屋に着いてわかった。
疲れた体に鞭打って全員で水汲みに行く。持ってきた酒類も全部なくなったので8時過ぎに早々とシュラフにもぐりこんだ。
軽量化のため夏用シュラフとマットなしであったので冷えてなかなか寝付かれず、ツェルトをかぶって寝た。

21日 晴 出発時 気温5℃
5時半起床。
同宿のマッツ君は傾山の頂上を登ったあと大崩山を目指して今日は見立まで、名古屋のパーティは帰りの時間の制約のためそのまま九折まで下りるということで小屋の前で全員で写真を撮って別れた。
傾山からの眺望を楽しみ、三ツ坊主の岩場の手前で膝が痛くなった北方さんの膝にテーピングを施し、ザックの荷物の一部を3人で分担す。
みんな疲れがたまっているので岩場の所は時間を気にせずに慎重に下りる。特にザイルを出すような所はなかった。三ツ尾から下って観音滝を右に見て九折の駐車場に計画より約1時間半の遅れで着く。北方さんの膝通がひどいので鉱山跡の河川工事をしている人の車に池田だけ健男社前駐車場まで便乗させてもらい、九折まで引き返して帰路に着いた。      池田

今後の山行の山行にするために参加者全員から意見を出してもらいました。
日程について
前夜泊の二泊3日で実施した。このコースを西田さんは1泊2日で、ピナクルの人は1日で縦走しているが、我々中高年の体力ではこの日程で精一杯である(全員)。

装備について
軽量化のために夏シュラフとエヤーマット無しで行ったが、この時期は夜はマイナスの気温になるので夜は寒かった(池田)。無駄なものは一切持ってゆかないようにして、手袋1枚を除き主要装備はみんな使った。軽アイゼンは祖母山頂上では凍っていたので持って行ってよかった(江上)。以前エヤーマットがなくて泣きたいくらいに寒かった経験があったのが、今回はエヤーマット・上下ダウン・冬シュラフで暖かく眠れた(石橋)。

食料について
全てフリズドライ食品で済ませた。やや味気なかったが軽量化のためには止むを得ない。他のパーティーも同じような食事だった(全員)。朝の赤飯は腹持ちがよく、長ネギの味噌汁はグッド(江上、石橋)。行動食にはカレー味ラーメン・ソーセージ・あめ・ドーナツ・パンと色々の味の物で美味しく食べれた(石橋)。

教訓
長期山行の時は、事前にテーピングしておいたほうが良い。迷ったら迷わずに元の場所に戻る。地図を2種類持っていって良かった(石橋)。山は、雨の日、雪の日、崩壊等で、いつ行っても変化している。過去の経験に頼らず迷った時は元に戻る(江上)。体力不足で皆に迷惑をかけた。膝のケアを行い体力強化に努めたい。(北方)コースタイムについては、初日と3日目は疲れの度合いが違うのでその点を考慮して計画したほうが良い(池田)。


石橋
念願の縦走がやっと出来てよかった。会社を休んでいった甲斐があった。
たくさんの鹿に会い気持ちの良い縦走であった。祖母九合目小屋では遠くから来た登山者と交流が出来て、楽しく語り合ったこともいい思い出である。

江上ひ
天候に恵まれ、標高600〜700mでは鮮やかなミツバツツジに会え、祖母山北面が白い山桜のような霧氷に覆われていて美しく感動しました。
祖母九合目小屋には、千葉・愛知・オーストラリアからの宿泊客あり祖母傾も国際的で、鉱石採掘の趣味の話など聞けて楽しかった。
毎年この時期に山に入っていて下山したら大ニュースが起こっていたが、今回はワールドベースボールで日本が金メダルで興奮した。でも、中央の山で
は5人が死亡、九州の山でラッキーでした。
全山縦走でき山の霊気に包まれて幸せ一杯です。

北方
3月18日 雨
 夕方、久留米を発つ。
上畑の小学校が廃校になった跡に地区公民館として利用され
ている“やまびこ塾”に素泊まりした。
3月19日 晴れ
 良い登山日和である。久しぶりに重いザックを担ぐので、身体
がやや緊張気味。
黒岩山〜前障子岩〜大障子岩へと、急な上りが続く。呼吸を
整えながら、一歩一歩ゆっくりとしか登れない。
前を登る池田さん、ひろ子さんにずっと遅れを取りながら、マイペースで進む。かなり、キツイ。思うように足があがらない。宮原に辿り着いた時、ホッとした。もう一息だ!頑張れっ!!
予定時間より、やや早く行動できたようだ。
九合目小屋にて一泊。フリーズドライのみの夕食の準備が整い、ビールで乾杯した。宿泊客は、千葉、静岡、名古屋からと、我々福岡組である。山の話で盛り上がった。
特に、静岡からやってきた青年は、タスマニアから日本へ英語の先生としてやってきたという。どう話そうか・・・、と皆不安に思うも、何の、彼は流暢な日本語で話してくれた。

3月20日 晴れ
 今朝は冷え込んでいる。気温−7度。所々に雪が残り凍っていた。アイゼンを着ける。気温が上がらないので、樹氷がまるで満開の桜を思わせるかのように見られた。
 祖母山〜障子岳〜古祖母〜本谷山へと、今日の行程は長く、ツライ。昨日の疲れもあって、足が重い。
笠松山で方向がわからなくなり、少々慌てた。行けども行けども辿り着かない。あぁ、疲れたなぁ・・・。今日は予定時間より遅れ気味である。青い屋根の九折小屋が見えた。ヤレヤレ。
3月21日 晴れ
 昨夜は、小屋近くに鹿が来ていたらしく、泣き声で目が覚めた。
二夜も一緒に小屋泊まりをした“友”に挨拶をして、それぞれに発つ。Good Luck!タッド君がそう言って、手を振っていた。
 今日は、三ツ坊主など岩場があるので、スリンゲ、カラビナを準備して出発。
スズ竹の根に足をとられながら、そして岩の登りに緊張しながら傾山に立つ。
三ツ坊主といえども、ピークは5つあったような気がする。吉作落しなど、切り立った岩陵を後に三ツ尾へと辿る。
膝が痛み始めた。もう少しだというのに、下りの一歩一歩がツライ。ピンチバッグの中に、テープ、ゴムバンドを持っていたのでテーピングして応急処置をしてもらった。私の荷物を3人が分けて担ぎ、ザックを軽くしてくれた。
鉱山跡地に降りた時、足の痛みはピークに達していた。
池田さん、石橋さん、ひろ子さん、ごめんなさいm(__)m。
 そして、ありがとうございました。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送