山嶺

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ネパール・アンナプルナトレッキングVol.1

2005年9月20日〜10月8日(19日間)
報告 池田克己

【メンバー】
(L)田上和弘(フェニックス) 山口善暉(あだると) 生田昌子(あだると) 吉田捷利(あだると)島松尚宏(油山) 石丸幸子(ピナクル) 池田克己(山嶺)  現地ガイド3人、ポーター4人

【日程】 
9/20 福岡空港 → バンコク(タイ航空)
9/21 バンコク → カトマンズ(タイ航空)
   9/22 カトマンズ 買出しと観光
   9/23 カトマンズ → ベイシーサハール(マイクロバス 6時間)
   9/24 ベイシーサハール 〜 バウンダーラ(トレッキング 行動約9時間)
   9/25 バウンダーラ 〜 チャムゼ(トレッキング 行動約7時間30分)
   9/26 チャムゼ 〜 バガルチャップ(トレッキング 行動約8時間)
   9/27 バガルチャップ 〜 チャーメ(トレッキング 行動約7時間30分)
   9/28 チャーメ 〜ピサン(トレッキング 行動約8時間30分)
   9/29 ピサン 〜 ピサンピーク(中腹4510m)〜ピサン(登山 7時間)
   9/30 ピサン 〜 ダラパニ(トレッキング 行動約9時間30分)
   10/1 ダラパニ 〜 シャンゼ(トレッキング 行動約8時間)
   10/2 シャンゼ 〜 ベイシーサハール(トレッキング・バス 行動約7時間)
   10/3 ベイシーサハール →ポカラ(乗合バス 約5時間)
   10/4 ポカラ観光
   10/5 ポカラ → カトマンズ(ツーリストバス 約7時間)
   10/6 カトマンズ 買い物
   10/7 カトマンズ → バンコク(タイ航空)
   10/8 バンコク → 福岡(タイ航空)

【トレッキングに参加した動機】
○ 富士山以上の高さの山に登り、高度障害がどのようなものか経験してみたかった。
○ ツアー登山では現地の人との交流が少ないが、今回の県連の計画は自前の登山であり現
地の人との交流ができる。

以上の理由から福岡県連に申し込みをしました。
申し込みにあたっては、約2年前に狭心症の手術をしていたので、主治医とも相談して今回は高度4000m程度までにしていたほうが良いのではないかとのことだったので、トロンパス越え(5410m)はやめて、ピサンピークベースキャンプまでの申し込みをしました。今回は登山ではなくトレッキングであり、登山の記録ということではなく、ネパールの人々の暮らしぶりなどを中心に、気ままに書いて報告します。

9/20  福岡空港→バンコク
平田理事長と高田救助隊長の見送りを受けて、正午に福岡空港を発つ。
バンコクに12時35分に着(時差3時間)。気温31度、曇空で蒸し暑い。
空港で50ドルをバーツに両替してタクシーでホテルへ。  
その後、タクシーでバンコク市内のマーブルテンプルを見学し、夕食は市中心部のパッボン通りで食事する。
バンコク市内は車・車・車があふれて渋滞が激しい。
車はトヨタ・ホンダ・三菱の車が多い。

9/21 曇 バンコク→カトマンズ
バンコクを10時30分に発ち、カトマンズに12時40分着(時差30分)。
ノロノロした出国手続きにジッと我慢。

空港の建物を出るやいなや、そこらにいた若者が頼みもしないのに、私達の荷物を勝手にジャンボタクシーまで運び、その見返りとしてチップを執拗に要求してくる。
無視していたがタクシーの窓にしがみついて離れないので、50ルピーをやった。
話によるとこれらの若者はストリートチルドレンのようである。
生活がかかっているので必死の形相もうなづける。

カトマンズの宿は、労山全国連盟の近藤和美さんがいつも利用しておられるモハン・シン・トラチャン経営のホテル(民宿)。
トラチャンは日本語を上手に話す。

一休みしてタメル地区のバザールへ買い物に行く。
道路は、物売りの人・ブラブラしている人・何かのゲームや賭け事をしている人・ノラ犬と古い車、バイク、三輪車がクラクションを鳴らしながら走っている。
道端にはゴミがたくさん捨てられており、排気ガスとホコリですぐに吉田さんの喉がガラガラ声になった。

両替屋で300ドルをルピー(20700ルピー)に両替す。
このタメル地区は、1960年代には世界のヒッピーが集まっていたという。
みやげ物店、旅行社、安宿、本屋、レストランなどが所狭しと並んでいる。
登山用具店にはいり小物を購入。
値札は付いていないので買値は交渉次第できまる。

その夜はトラチャンを交えてビールと地酒のロキシーを飲み歓談す。
このトラチャンはタカリー族の氏族の子孫で、「遥かなるチベット」根深 誠(中公文庫)の中にでてくる人物。

9/22 晴れ   カトマンズ観光
市内中心部にあるダルバール広場に行く。
丁度、当日は国王がこの広場に来るということで、広場は国王を迎える小中学生、民族衣装の各部族の人達、カトマンズ市民や報道関係者で一杯になった。

しかし待てども、待てども国王は来ない。
ネパールの人たちは辛抱強く待っている。
3時間待っても来ないので残念ながら広場をあとにする。

帰り道の河原では水葬の煙が立ち昇っていた。
また、河原には日本のホームレスの家のような青いビニールシートの小屋が、いっぱい並んでいた。
宿の近くの「サンセットビューホテル」で「日本そば」を食べ、スーパーで行動食のビスケットを買って帰る。トレッキング許可証の取得はガイドが代行して手続きしてくれた。
一人2000ルピー 

22日以降




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