山嶺

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ネパール・アンナプルナトレッキングVol.3

2005年9月20日〜10月8日(19日間)
報告 池田克己

9/26 晴れ 25℃〜29℃
チャムゼ(1405m)〜バガルチャップ(2100m)

出発時 脈拍65 酸素濃度99
7時15分出発。すぐに吊橋を渡る。
途中サタレイという所で休憩し、トイレを利用しようとしたが、空中トイレで下は激流のマルシャンディ川、怖くて利用しなかった。

9時10分 タールの入口にはいる。ここは日本の上高地のような所でマルシャンディ川もゆったりと流れる桃源郷である。タールの集落は比較的大きな集落。
トレッカーのチェックポストがあり許可証にスタンプを受ける。 
11時40分コルトで昼食。私たちがピラフを注文したら、宿の主人が隣の畑に行って、ピラフの材料の野菜を摘み取っていた。
ゆっくりと時は流れる。昼寝をしてゆっくりと昼食を済ませる。

アップダウンを繰り返しながらの登り坂が続く。
高度が少し高くなったせいか涼しくなる。
14時20分ダラパニで休憩。
15時頃から雨がポツリポツリと降ってきたがしばらくして止んだ。
15時20分本日の宿泊地のバガルチャップに着く。到着時 脈拍87、酸素濃度92.
この宿は集落から少し離れていたので、今夜は私たちの貸切となる。
マルシャンディホテル 1室に2名、木製のベット バケツで水を流す水洗トイレ
薪を燃やすカマド全て金属製の食器ローソクの明かりで食事。

夜中の2時頃犬が激しくほえ続ける声で目を覚ます。
大声で言い争う声が長く続いていた。
翌朝、何のことだったのか聞いてみたところ、マオイスト(反政府組織)が宿に来てお金を要求しに来たとのこと。(お金を支払ったかどうかは教えてくれなかった)。

9/27 晴れ 18℃〜24℃
バガルチャップ(2100m)〜チャーメ(2625m)

出発時 脈拍78  酸素濃度94
起床すると、朝焼けに光るアンナプルナUの頂上が輝いていた。
7時15分出発。30分程歩くと河原の道と山側の道に分かれる。
以前は河原の道を通っていたそうだが、今は山側の道が主流になっている。
後ろを振り返ると白く光るマナスルが見える。

9時過ぎ2300mを過ぎる頃から少し頭が痛くなりだした。
田上さんから「睡眠不足だろ、セデスを飲みなさい」と、言われたの飲んだら、痛みは徐々にやわらいだ。念のために計測、脈拍104 酸素濃度91で異常なし。

ティマングという集落近くでは、盛んに道路の建設が進んでいた。
ガイドの話によると、将来、自動車を通すための道路を作っているとのことだったが、その工事は、ツルハシとスコップとカナヅチを使った、全くの人力のみの工事で、完成までにはどのくらいかかるのやら、気の遠くなるような作業ぶりであった。

11時15分、タンチョックのコスモスのお花畑の庭で昼食。
昼食後は、アップダウンを繰り返しながら登ってゆく。
13時30分コトに着くとチェックポストあり。
その後、チャーメの入口でもまたチェックを受ける。
チェックポストには、必ず銃を持った軍隊が監視していた。
(その写真は撮ることが出来なかった)

14時30分吊橋を渡り本日の宿チャーメの「山荘」に着く。
宿の近くの温泉(川のほとりの露天風呂)で足湯をして楽しんだ。
田神さんはパンツ1枚で浸かっていた。

9/28 晴れ  19℃〜  
チャーメ(2625m)〜ピサン(3170m)

出発時  脈拍 72 酸素濃度 94
7時20分出発。 すぐに朝焼けのラムジュンヒマールが見えてくる。
しばらくゆくと高さ1000mにも及ぶような巨大な岸壁が立っている。
田上さんの話によるとそこを登攀す-るには3日ぐらいはかかりそうと。

9時25分 バラタンを通過。
数100m下は激流のマルシャンディ川の切り立った岸壁を歩く。
ここも黒部の下の廊下と似ている。ダラダラ坂の途中の無人小屋でで休憩。
11時35分デクレポカレに着き昼食とする。ポーター達は大皿山盛りのごはんを2杯も食べていた。このくらい食べないと、30kgの荷物は担げないとのこと。
ここのトイレは、トレッキング中唯一のボットン便所であった。

昼食後は、マルシャンディ川沿いに下ってゆく。アンナプルナUがよく見えてきて、次にはピサンピークの頂上も見え出す。

16時に本日の宿泊地下ピサンに着く。
明日以降の行動についてミーティングを行う。
高度が高くなってきたので夜は冷え込みダウンを着る。
9/29   晴れ  気温7℃〜
下ピサン(3170m)〜ピサンピーク中腹(4510m)〜下ピサン(3170m)

脈拍94  酸素濃度94
5時20分起床。本日はピサンピークのベースキャンプ(4200m)まで登り、それ以上登れる人は登ってみるという行動予定。
7時10分出発。マルシャンディ川を渡り、上ピサンの集落は通らずに、左の稜線上に登り込み3735mで一休み。富士山とほぼ同じ高度であるが特に高山病の症状はなくゆっくりゆっくりと登る。
このあとは各人各々のペースで登ることにする。
4000mを越えた付近からは20歩ほど歩いて、5回深呼をして登るというペースとなる。
4200mのベースキャンプに着く。ゆっくり登ればもう少しは登れそうだったので、20歩歩いて10回深呼吸する
ペースでゆっくりゆっくり登り、4320mで行動食を食べる。
12時40分4510mのケルンのある所まで登る。
田上さんと吉田さんはそれ以上登って、既に下山してきていた。
私は今回はここまでが限度だと思い、下山しはじめる。
少し急いで下り始めたら、足元がどうもフラフラして着地が不安定になってきた。1,5リットル持
ってきた水はなくなってしまい、田上さんの水を飲ませてもらった。
足のふらつきは尚も続き1回転倒した。そのうち小便をしたくなったので、立ち止まって踏ん張るが、なかなか出てこない。膀胱はパンパンに張っているのに、いくら踏ん張っても出てこないので出すのをあきらめた。
田上さんにサポートしてもらいながら、皆から遅れてゆっくりゆっくりと下山する。
ピサンの集落に近づくにつれて足のふらつきはなくなってきた。
15時20分ピサンに着き、パンパンに張った下腹をかかえながらトイレにはいったら、勢いよく尿が飛び出し、スッキリとした。

下山直後 脈拍97 酸素濃度93。 
田上さんの話によると、足のふらつきも尿が出なくなるのも高度障害の現れであり、水を飲めるだけ飲むように言われた。夕食時までに約1.5リットルの水を飲んだ。
私の事前の高度障害の予備知識では、「登ってゆく時に、頭痛や吐き気や足のふらつきがあるもの」とばかり思っていたので、登りではそのような症状が現れず、自分は高度には強いのかなと感違いをしていた。

水をたくさん飲んだので、寝るまでに6回もトイレに行き高度障害の症状はなくなった。
同行のメンバーに聞いてみたところ、
田上さん、吉田さん、石丸さんはどうもなかった。
山口さんは腹がへってしかたなかった。
島松さんは頭痛がした。
生田さんは少し吐き気がした。とのことだった。

夜は、アメリカ人と結婚している日本人女性が私達のテーブルに加わり、色々と話をした。
その女性は日田市の出身で大学の途中でアメリカの大学に転校し、卒業後はアメリカのソフトウエアー会社に就職し、そこで男性と知り合い結婚した。
29歳になるので子供が出来る前に世界1周旅行しようということで、夫婦共々退職して1年間かけてリュックを担いで、世界一周の旅行をしている途中とのことだった。
1年後は、夫婦ともソフトウエアーの技術を持っているので再就職のことについては心配していないとのこと。
日本では、現役のサラリーマンが1ヶ月も休めば、自分の机はなくなってしまっているのが現実であり、うらやましい限りである。
その夜は、ぐっすりと眠った。              

9/30 晴れ 
ピサン〜ダラパニ 行動時間9時間30分

飛行機が飛ばない!!
当初計画では、私は同行メンバーと別れてピサン近くのフムデから、飛行機(不定期便)でポカラまで飛ぶ予定であった。
その為9月29日にガイドの1人にその飛行場まで行ってもらったところ、9月30日の切符は満席で一杯、次のフライトは5日後の予定とのことだった。
やむなく、もと来た道を戻ることにした。
昨日の高度障害の後遺症は特になかったので、ガイドと相談して5日間で来たところを、帰りは
3日間で戻ることにし、ガイド1名、ポーター1名と共に7時10分出発す。
早足で飛ばして歩き16時30分に本日の宿泊地のダラパニに着く。
着いたときには足がパンパンに張っていたので、入念にマッサージをして寝た。

10/1     晴れ 16℃〜29℃   
ダラパニ〜シャンゼ  行動時間8時間

マオイスト現れる!!
5時30分起床、7時出発。
8時55分頃、タール集落の手前の所で2人の若者とすれ違う。 ガイドがその2人と何やら深刻そうな話をしていたので、問うたところ、その2人はマオイストのメンバーで、「この先に仲間がいるのでその仲間と話をしてくれ」と言った、と。
9時5分、タール集落の入口の所で、若者が言ったとおりマオイスト(反政府組織)のメンバーがいて、近くのバッティ内の敷地に導かれた。庭のテーブルに座らされて、英語で書かれたた紙を渡され「それを読め」と。
私の英語力では、何が書いてあるのかさっぱりわからないが、とにかく読めそうな単語を拾って最後まで目をとおした。
ガイドにその文章の内容について聞いたところ、「自分達の運動に賛同したら、寄付を頂きたい」とのこと。 「ノー」とは言えないので「OK」と返事する。

そのあとガイドとマオイストがネパール語で寄付の金額について話していた。
話がついたらしく700ルピー(約1100円)を渡す。書類にサインをしたあと、領収書を渡してくれた。
バッティには、ほかに1名がいて無線機を使って別のメンバーと連絡をとりあっていた。
武器などの威嚇するよな物は何もなく、柔らかな物腰の応対であった。
最初は緊張したが、「地球の歩き方」という本である程度の予備知識はあったので冷静に対応できた。
あとでポカラのホテルの人から聞いたところ、「700ルピーは最低の金額です。ヨーロッパの人はその10倍ぐらいで、アメリカ人はその100倍くらい取られる」と。
アメリカはネパールの政府軍に武器を輸出しており、マオイストの運動を阻害しているので高額とのことだった。

10時35分チャムジェのチベッタンホテルに着き、早目の昼食とする。
あまり食欲がないのでヌードルスープだけを食べて11時40分出発。
気温が上昇してきて汗ダクダクになりながら長い坂を登っていたところ、急に力が抜けて足が上がらなくなってしまった。
昼食をスープだけにしたので、完全なガス欠だ。
ビスケットとチョコレートを食べ、しばらく休憩して出発。
15時にシャンジェに着く。次の集落のジャガットまでの予定であったが、無理しないほうが良いと考え、本日はシャンジェに泊まる事にした。
夕食時に田上さんたちと合流するガイドのティカさんが宿の前を通りかかり夕食を一緒に食べた。
ティカさんはK2やカイラス山を無酸素で登った経歴を持ち、日本語を流暢に話すガイドで精悍な体つきをしていた。
ティカさんは、「ネパールは経済的には貧しい国であるが、人々の心は豊かでありそのことを誇りに思っている。日本の外務省のホームページには、ネパールは危険な国だから入国を控えたほうが良い、と書かれているが、決してそうではない。マオイストは外国人に危害を加えることはない。ホームページの内容を書き変えて欲しい」と、話しておられた。

10/2  晴れ  21℃
シャンゼ〜ベイシーサハール 行動7時間

6時50分出発。今日も気温が高く汗ダクダクになる。
8時25分バウンダーラに着き休憩して行動食を食べていたところ、一人の子供が近寄ってきて「ナマステ、チョコレート」というので、1個与えた。すると、近くで遊んでいた子供達がワーッと集まってきて自分にもくれと言って手を差し出す。
仕方ないので残っていたチョコレートとビスケットを全部やってしまった。

今度は10時頃、ウンガディの集落で休憩していたところ、男が近寄ってきて自分の手指を見せて「自分ライ病である。充分に働けないので恵んでください」と言って手を差し出して離れない。ガイドと相談し5ルピーを渡した。

10時20分ウンガディで昼食。13時40分クディに着く。
運良くそこからベイシーサハール行きの乗合バスが発車するところだったので乗り込む。
ガイドとポーターは天井に上がって荷物と一緒に乗る。
バスはクーラーはないので蒸し風呂状態。運転手は上半身はだか。
ものすごいエンジンの音と、車内スピーカーからガンガン流れるネパール音楽でうるさいことうるさいこと。
外国人で乗っているのは私だけで、私も汗臭かったが、地元の人の体臭もひどくお互い様。
定員30名ぐらいで満杯となり、入口にぶら下がった人もいて、天井も一杯で、時速20kmぐらいでガタゴトガタゴト揺られながら本日の宿泊地のベイシーサハールに14時50分到着す。

こうして9月24日から始まった9日間の私のトレッキングは終わった。

10/3 晴れ
ベイシーサハール〜ポカラ(バス)

朝8時過ぎバス停でバスを待つ。
バス停の前では、若者達が風呂敷のようなものを道端に広げて、お金をかけ公然とバクチをやっていた。
8時30分乗合バスは出発、9時45分頃バイスザイツルという町で軍の検問あり。
運転手と外国人それに老女以外は全員バスから降ろされる。
銃を担いだ軍人がバスに乗り込んできて、私のザックを指差して、ネパール語で何か質問してくる。
私は「アイム フロム ジャパン。ジスバッグ イズ トレッキングバッグ」と言ったら、ザックを少しなでて「フフーン」と言って降りていった。
降ろされた地元の人達は、100m程歩かされていた。
11時バルベイキューという所で全員バスから降りてお茶を飲みトイレを済ませる。
ポカラにはいる手前でも同じような検問があった。

13時30分ポカラに着き、タクシーでホテルへ。
夕食までには時間があるので、フェア湖に行きボートに乗ったりみやげ物店を見てまわる。
ポカラはカトマンズとは違って、ゆったりしていて空気もきれい。

10/4  ポカラ観光

朝5時起床。タクシーでポカラ郊外のサランコット展望台に行く。
ヒマラヤの展望が見えるはずであったが、小雨のため見えなかった。
宿に帰り午後は国際山岳博物館に行った。広大な敷地の中にヒマラヤに関する資料などが展示されている。
川口慧系海、日本隊のマナスル初登頂、田部井淳子、野口健のコーナーがあった。

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